インテル教
1970年代始め東京秋葉原にあった電卓メーカービジコン社の技術者、東方ニッポン人嶋政利が電卓用の半導体の開発をアメリカインテル族に依頼したのが、この宗教の始まりである。ビジコン社は当時黎明期であった電気卓上計算機のメーカーであった。そのビジコン社の技術者シマの依頼を受けて電卓に使える半導体の発注を受けたインテル族のマイコン始祖、マルヨン(4004)の主張は、息子のハチマル(8080)に引き継がれて、当時マイナーだったインテル族は、その後のは数年のハチマル一家のマイコン修行を経て、現在のインテル教の教祖ハチロク/ハチハチ兄弟(8086/88)として1976年にこの世に産み出しされた。808x家
インテル族のハチペケ一家の家系は当初、当時,全コンピュータ世界の中で、まったく注目されないマイナーなマイクロコンピュータ家系であると見なされていた。コンピュータ世界では、未だ原始大型コンピュータであるIBM王国の360一家が中心で、コンピュータはかくあるべきもの、パンチカードで入力するもの、大企業や政府機関で重要な計算をするものとされていた。これが、コンピュータ世界の戦後感であった。IBM王国
当時、大型コンピュータ思想を中心としていたIBM王国は、西欧諸国コンピュータを汎用コンピュータと呼ばれるシステムで統一し、混沌としていたコンピュータ人類の世界の中で支配的ではありながら、コンピュータと無縁なヒトにはなんじゃこりゃの王国を形成していた。XT主義
XTコンピュータはIBM王国で支配的であった汎用コンピュータシステム教に対して反感を感じていたIBM王国の宗教技術者が、王国の教義に反して、小回りの効くコンピュータの将来性を感じて産み出したコンピュータ主義である。かれらはインテル族のハチペケ兄弟のメンド臭いセグメント主義思想を取り入れてIBMーXTを作った。この思想はやがてそれを支えるビジカルクと呼ばれる割と優れた表計算ソフトウェアによって大いにコンピュータ世界のPC大陸の大衆の支持を受け、王国のピーシー思想は無視出来ない主義へと発展する事になる。AT主義、IBMAT互換機帝国の誕生
AT主義はXT主義の8ビット思想を拡大し、当時IBM王国に挑戦的に侵略を始めた808xの思想に感化された技術者集団が担ぎ出した、インテル一族のニーハチロクの教義を取り入れた16ビットシステムPC主義である。この思想は大いに、当時IBM王国を取り巻いていたゲルマニュウム人である互換機族に受け入れられ、興隆期のIBM王国に大いに迎合された。IBMーAT主義は王国の補助的存在だったPC主義思想の中心的存在となって行った。ここにIBMーAT主義を基にして、北方の新興ゲルマニュウム人、コンパック族、ヒューレットパッカード族、その他パッカードベル族など互換機所族がその領内を侵略し、古代PC世界は急激にAT互換機民族化することとなるが、その支配力はIBM一族が握り、PC世界の中心となるIBMーAT互換機帝国が誕生する事になる。IBMーAT互換機帝国とその行き詰まり
IBMーAT互換機帝国は、純粋なIBM王国を中心として構成された帝国内に互換機諸族をむかい入れ、市民権を与えた事により連合帝国化し、その純潔性を大きく失われる事になった。共通な教義として、インテル教の後継者ニ−ハチロク教義を受け入れ、その規格としてAT主義を主張すればだれもが帝国の市民権を得る事が可能となった。ここで北方にあった互換機諸族でも強大なコンパック族、パッカードベル族、更に北でミニコン文化を築いたヒューレットパッカード族、新興のデル族などを受け入れ、帝国の領土は強大なものとなった。更に言語がまったく異なる、太平洋を隔てたタイワン諸族の高度なボ−ド製造技術取り入れ互換機帝国は征服する事により、互換機帝国はその支配力を全世界に広げる事になる。ここにIBMーPCAT互換機帝国が成立する。(最大版図参照の事)帝国はインテル教ニーハチロクという共通の宗教のもと、天才宗教家ビルゲーツの書いたドスを共通の聖書、ハチロク言語を共通語とし、全世界PC人類を統一した。しかし、IBM族はPC人類をAT互換機の名で統一し、事実上の盟主として君臨するにもかかわらず、帝国の末端でIBM族に反発する勢力や 、連合帝国内部に取り込んだコンパック族などの強大な民族の勢力にたいするIBM族の勢力低下がやがて帝国の実力の低下をうむ事になる。ここで、IBM族の皇帝は、互換機諸族の支配力の強化と思想の32ビット強化を狙って、新たにマイクロチャネル(MCA)主義の旗揚げを謀り、これを発表する事になる。帝国の東西分裂
この、帝国の中心IBM族の突然の支配強化に反発した各互換機族は、コンパック族を中心に従来のAT基本主義を拡大した拡張AT主義(EISA主義)を主張し帝国の拡大をねらった。この主義は帝国の支配民族であるIBM族に対して年貢を納めない事で実現し、実質上、PC−AT互換機帝国は西のAT互換機帝国と、MCA/IBM帝国に分裂する事になる。これが1988年のPCーAT互換機帝国の東西分裂と言う。東西PCーAT帝国/西AT互換機帝国
西AT互換機帝国はその後、拡張AT主義(EISA)を主張し、従来の原始16ビットを32ビットに拡大し、共通化した独立互換機帝国を形成した。しかし帝国は既に帝国の形をなさず、コンパック族、HP族をはじめとし、様々なPC世界民族を巻き込んだ王国連合が実態であった。諸族はそれぞれのAT主義を拡大解釈し、ローカルバスなどの新たなレトリックを取り込んだ。ここには連合王国としての共通な教義としてインテル教のx86神を信奉した各民族は、対立しつつも、それぞれ共通の教義として、エムエスドスを共通の聖書としてその拠り所とした。その聖地シアトルには教義のまねっこ天才ビルゲティウス教皇が治める教皇領があり、各民族は自分の特産PCを聖地シアトルに持ち込み、帝国内の覇権を競った。東IBM帝国
東IBM帝国は帝国の主流として、全PC世界とその教義の支配者を任じていたが、西互換機帝国には到底受け入れられない高価な年貢、MCA制度を取り入れたIBM族の純潔性を主張したために、その領土を徐々に、西互換機帝国や、モトローラ教を教義とするアップル国にその領土を侵略される事になった。やがて1990年代に入り、その首都IBMピーシー市以外の東IBM帝国の領土は、西互換機帝国や東から拡大したモトローラ教アップル帝国にその首都以外のほぼすべてを支配される結果となった。また、東IBM帝国は、西互換機帝国の聖書、エムエスドスに対して、ピーシードスを拠り所とすることで、西互換機帝国と深刻な対立を産み、多くのPCエンジニアが西互換機帝国のとの妥協を図る方策を検討し始めた。東西互換機帝国の合同
東IBM帝国の首都ピュアピーシー市、MCA主義で一時の繁栄を築いたIBM族であったが、その多くが強大な西互換機帝国のゼネラリゼーション主義にのみこまれ、首都ピュアピーシー市の城壁外で、帝国のいわば挑戦的な企画を産み出そうという雰囲気がIBM族のなからから生まれた。かれらはやがて、西互換機帝国で流行したローカルバス文化を盛んに取り入れ、東IBM帝国にPSVと呼ばれる東西共通の文化を再確認した。こうして、IBM族は西互換機帝国の主義主張に取り込まれ、強大なPC文化の東の最前線を形成する事になる。こうして東西互換機帝国のインテル教の合同が実現したが、西互換機帝国の先進性に対して、東IBM帝国のイナカ臭さは、いまだ世界市場をかつて席捲した迫力は取り戻せていない。東IBM帝国のその後
しかし東IBM帝国の首都ははピュアピーシー市であった。その首都には今や廃れたMCA主義者がまだ存在したとは言え主流にはなり得ず、遠く東のミツビシ族アプリコット一家などが年貢をピュアPC市に治める程度であった。IBM族はかつて支配したPC世界市場への支配力を獲得しようと、東からやってきた、モトローラ教を信奉するアップル王国のマッキントシュ一族と手を結び、パワーピーシー家にその首都の強靭な城壁を明け渡す事となった。こうして東IBMピーシー帝国はその思想と文化を残して滅亡した。IBM族の多くは互換機帝国内に身を置いてはいたが、一族の族の首脳はその中心となるピュアピーシー市をモトローラ教徒に明け渡した。こうして 1995年、IBM族の首都純正ピーシー市に、モトローラ教のパワーピーシー国が誕生する事になる。西互換機帝国のその後
西互換機王国の首長はまねっこ天才ビルゲティウス教皇のマイクロソフト教皇領に多くのPC年貢を納め、自らの正当性の認定を得ようと日参した。ビルゲティウス教皇は、インテル教の五角形をその礼拝堂に納めつつも、DEC教徒のアルファ教やミップス信徒にも受け入れられる、神学書エヌティ大全を著し、東IBM帝国に対してもパワーピーシー家の懐柔を狙った。