島謙作、英語を話す
「部長、今から札幌のデータを送ります」
サムソナイトのアタッシュから、すらりと現れた最新型のモバイルPCとNTTのデジタル電話、どう見てもスーツにはシワがないし、シャツは昨日デパートで買ったばかりである。

ところが主任・島謙作とくると、買ったときに既に型落ちとなったノートPCと1円ピッチを持ち、よれよれのスーツと散々洗濯を繰り返した黄ばんだワイシャツを着込み、マルエム松崎のバカデカカバンにはさまざまなケーブルだのフロッピーだのを詰め込み、今日も東京の周辺を歩きまわる。

あえて東京「周辺」というにはわけがあるのだ。決して彼が赴く「アカサカ」という地名は港区のあそこではなく「明坂」という地名だったり、新宿というのがあの青島幸男氏が働くところではなく「ニイジュク」という読みだったりするのだ。
仕事先が眺めの良い高層ビルだったら良いのだが、とんでもなく眺めの良い山のてっぺんだったり、どうみても二流のエンジニアといった風情の島謙作が似合うロケーションとは、都内のターミナルから一時間から二時間といったところであり、この微妙さといったものは、時間はかかるは出張手当ては出ないわといった土地に彼の顧客が多く存在する事によるものなのである。

決して出張先ではないわけだから、「部長今から札幌のデータを送ります」なんて、コミックやコマーシャルでやっているようなカックイイ課長・島耕作にはなれないのだ。美人の部下も付かないし、部長や課長には無視されるマイナーな商品のカタログだのマニュアルだのをチャックの壊れたカバンに詰め込み、今日も主任・島謙作は郊外電車に飛び乗り、先ほど網棚から拾った「アサヒ芸能」を取り出していかにこれからの数十分をすごそうかと悩むけちなサラリーマンなのである。


「島さん英語大丈夫だよね」
いきなりそんな事を言われたのがその顧客のうちの一つである。本社から、エライさんがやってきて、顧客が希望するコンピュータシステムについて、説明しろというのである。

確かにカイシャ名は横文字だし、どうやら外資系らしいというのは十分承知していたが、結構昔からある企業だったからまさかそんな事はあんめぇとタカを括っていたのだが
「は、あ、いや、あ、ぜんぜんだめですよ」
と答えるのが精一杯だったのだ。

そりゃ、島謙作の学校時代の得意技の一つが英単語の丸暗記だったのは特筆に価することである。何しろ記憶系は割と自信があり、中国とロシアの国境が確定したのがネルチンスク条約で、5年前押しかけたピンサロのお姉ちゃんの脇の下にほくろがあっただとか、どうしょうもない事ばかり覚えているのだ。

なにしろ十ウン年前に共通一次試験では英語で200点満点で197点をとったのもこの得意技がなせるわけだし(数学が限りなく0点に近かったため、数学がない学校に進んだのは当然だったが)ちゃんと高校3年のときには英検の二級だって獲っている。

とは言え、イナカで少年時代を過ごした、少年島謙作が英語を話す機会と言えば、時折暇そうな若者をとっつかまえてその辺の公園に引っ張り込み、布教に精出すモルモン教の神父と話す事くらいなモノなのだ。外国人はすべてモルモン教徒と思えといった暗示に引っかかった主任・島謙作の悲惨な少年時代なのである。

という事で、今まで島謙作の英語能力といったものは悲惨であり、これが日本の学校教育の限界とばかりに、海外に出かけたときだって、添乗員の後ろにぴったりくっつきロスアンゼルスの税関をスリのように潜り抜け、レストランに行ってはメニューの写真を指差し「あぁーエト、あと、ウィズカフェィね?」なんてニコニコしているただのおじさんなのである。

初めて出かけたハワイだって悲惨だった。買い物するときだって、レジの地元の高校生のガキに「ニジュウドドルヨ¥」なんていわれてしまい。「トゥエニィダラーズ$$」を期待していた英検二級の自信を見事に打ち砕いてくれたのだ。


という事があって、島謙作はさっそくカイシャに戻り、その辺で暇そうにうろついている新入社員をとっつかまえてと聞いてみた。
「おい、英語で初めて人に会ったときはなんていうんだ」
新入社員Aは
「あー、よく覚えてないっす、Bに聞いてください、奴英語得意っすから」
と、急に窓際族のおっさんが何を言い出したのかと不信に思ったのか、Aは急に慌ただしく仕事を再開した。
「てめぇ、去年までしっかり日本の学校教育受けてきたんだろ」
と逆上したいキブンを押さえ、島謙作が恐くて使えない最新型のFAXで資料を送ろうとしていた新入社員Bに
「おい、アメリカ人にはじめてあったときはナイスツーミーチューといえば良いのか?」
と質問してみた。すると新入社員Bは
「だと思います」
島謙作は
「なぬゥー、”だと思う”と言わずに”ナイストゥ、ミーツ、ユゥであります主任!”と答えろ」
と一瞬ナチスドイツの中佐のように逆上しながらも
「ま、そうだろな」
などと威厳のない南米某国軍の補給事務士官のような反応を示し、とりあえずそこで矛先を納めたのである。

なにしろ、コンピュータ業界なのである。英語ができなければとてもじゃないがギョウムはできないのだ。
「大体なんで数千個もある漢字の意味を理解できるくせに、26個しかないアルファベットが理解できないのじゃ!

と大阪弁は得意だが、標準語と英語をまったく理解できない阪神ファンのY君(入社4年目)に、英文マニュアルの読み方を鍛えた過去があるのだ。やっぱり英語でプレゼンするしかないのか。

ちなみに、謙作の勤めるカイシャには中国人ワン氏が雇用されており、彼にも聞いてみた。
「ワンさん英語できる?」
「うーん、エイコできるよ。要米語中国企業採用条件、エイコ必須よ」
ワンさんはずり落ちためがねを引っ張りあげながら答えてくれた。
どうやらやられたらしい。さすが4千年の歴史がある。世界の常識をちゃんと知っている。ワンさんは中国語とエイコと怪しいニホンゴの三カ国語を理解できるのだ。何しろ漢字の国のヒトである。どんな外来語であってもいきなり漢字に翻訳してしまう特殊能力を持っている。彼らにはコンピュータは16ビット以上しか存在しない。やはり中国人は侮れない。



いかんなぁ、という事で、あのフルメタルジャケットばりの鍛え方で有名なノバの門をくぐろうかと真剣に悩む島謙作なのである。
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