久しぶりに田舎に帰った。3年ぶりくらいだろうか。まぁ、墓参りだな。
その街はどこにでもある、川沿いの街道沿いのタダの田舎町だ。特急と名を変えた急行列車が止まる駅前にちょっとした商店街がありパチンコ屋だけがやけに派手で、タクシーで5分も郊外に行くとどどどどどどどどどおおっとタンボが広がる。
そんな道路地図にもやっと載っているような小さな街だ。
街道から離れたところにあるそのガッコが廃校になったという話を聞いたのは15年ほど前だろうか。
5年前にはまだ校舎が残っていた。どこかの建設会社の資材置き場になっていた。体育館とプールが残っていて昭和30年代に作られた校舎の板壁はまだしっかりしていた。
3年前に見たときは建設会社は潰れていて、体育館とプールの跡が残っていた。
ガッコは周囲360度タンボに囲まれたちょいとした高台にあった。
久しぶりに帰った田舎は全てが身長120cmの少年が過ごしたマンマであり、雨の後、虹を見ながらトモダチの家に遊びに行くのが怖いほど冒険だった隣の集落へも軽い散歩気分出歩いてゆける。
そうして、昔自分が通ったガッコ、そして廃校になったガッコがどうなったかを見に行った。
ガッコの校庭は、ワシラ近所のガキンチョどもの遊び場だった。用務員のおじさんが草を刈った跡に、そのあたりにある木の木っ端を三角に並べて三角ベースの野球をタムチンとやった。よっちんがチンチンを見せびらかしながら走った学校の裏庭、テルキが黙々とマラソンの練習をする脇で、近くの工場の野球チームが練習をした、そして探すと必ず軟式のボールが見つかる蝦夷松の生えたバックネット裏。
必ず「何かが出る」と噂された汲み取り式の便所裏。スケルトンが置いてある、誰も近寄らない理科室。借りたまんま返さなかった図書館の本。
1000メートル泳ぐぞ、と意気込んで、転校したての四年生の女の子と水の中でわざとぶつかった最後の短い夏のプール。
近所のノリちゃんとお医者さんごっこをした杜だとか、市会議員の孫のヒデと初夏の草陰に隠れてイチゴをかっぱらった畑。
かくれんぼをするとき、隠れるのにちょうど良い赤松の木だとか、同級生の女の子の事故で早世した兄貴の記念に植えた白樺の木なんかが生えていた校庭と、悪大将ギロチンと爆竹鳴らした川辺の草叢。
美奈ちゃんの真っ白いパンツを見ながら昼休みに取り合ったブランコ。
そういうものの残骸をを期待して昔のガッコ跡に行った。
何にもなかった。
レンガで造られた校門以外何もなかったのだガッコの跡地は街から誰かに売られたのだろう、高台は削られ、ガッコの跡地より、その下に埋まった砂利に遥かに価値があったのである。
「漂流教室」楳図かずおが描いた未来にすっ飛んだ学校跡。
楳図かずおは、ガッコを未知の力で未来に吹っ飛ばしたが、このガッコは過疎の力がショベルで持っていってしまった。母親が生めた錆びたナイフのように、20世紀のガキンチョどもがくぐった校門が21世紀に残り、20世紀の少年たちの夢はどこか遠い過去の世界に吹っ飛んでいった。
子供は少年になり、少年は大人になり、オトナは年老いていく
ただ、その校庭跡から遠くに見える山並みだけが、泣きたくなるくらい懐かしく昔と変らなかった。