Anthology of Grover Washington,Jr.

 
土曜の夜の徹夜仕事の翌日の午後、うすぼんやりした頭でJwaveの音楽番組を布団の中で聞いていると女性アナウンサーがニュースを読んでいた。

「ニューヨークのジャズサックスプレーヤーのグローバーワシントンJrさんが亡くなりました。56歳でした......」

ニュースはテレビ番組の収録中におきた不幸を伝えたきりで終わり後報もない。ただのひとつのオビチュアリである。既に貴重な12月の週末は終わりに近づき、窓から冬の初めの弱い午後の陽の光が隣の家の屋根をかすめてナナメに差し込んでいた。

やれやれ、どうやらいいかげんに済ませた午食の後、眠ってしまったらしい。何しろ昨日は休日だと言うのにひどい徹夜仕事に付き合わされて、散々打ちのめされたあげくの午前様だ。ひどい緊張感を紛らわすために明け方飲みすぎたジンの残りで、まだちょっと頭痛がする。まったくこのたぐいの飲み物はきつい後悔と共に正気を取り戻してくれる。

年越し前の雑多な用事を思い出すのもあきらめて、本棚から音楽CDを一枚取り出し、ホコリまみれのCDラジカセをCDに切り替えると、ポットの既にヌルくなったお湯でインスタントコーヒーを入れタバコに火をつけた。

「ワインライト」20年前にラジオのスイッチを入れると良く聞こえてきたAOR、田中なんとかという作家が書いた小説が映画化されたときのバックグラウンドに流れた "Just the two of us." 。そう言えば「クリスタルな恋人たち」なんていう言う甘い邦題の曲があったっけ、などとどういうわけかめったに手を出さないジャズのラックから買ったLPが今も本棚の200枚のホコリまみれのレコードの束の中に壊れたレコードプレーヤーと共に埋まっている。この一枚が、それから20年のジャズ/クロスオーバーへののめりこみの始まりだった。

クロスオーバー、あるいはフユージョン、エレベータの中で上下するランプを見ながら聞く音楽としては多分最高で、スーパーマーケットの中で魚の切り身を吟味するときに何気なく有線からながれているあのテの音楽に取り付かれてからずいぶん長い時が経ったものだ。

まったくサックスというヤツは、ニンゲンの声の高さにあわせて作られたようなものである。パティラベルのボーカルとクロスーバーする"The best is yet to come."

ずいぶん長い時間がたったものだ。ヒトより音楽のわかる人間になってやろうだとか、文章が書けるニンゲンになってやろうだとか、映画か演劇に詳しいやつになってやろうだとか、いろいろなココロザシにあふれたあのころ。
あれからずいぶん時がたち、今は何の取り柄も得意技もない、ただの平凡なサラリーマン、三流企業に勤めるシステムエンジニア、ワタクシは主任・島謙作なのだ。

ケニーGのようにどろどろに甘くなく、ウィルトンフェルダーのようにコテコテにファンキーでもなく、ディビッドサンボーンのように田舎モノみたいな生真面目さでもなく、グローバー・ワシントン・Jr.のサックスは、きっちりとカッコよく、緊張感にあふれ、そして優しかった。

女の子とドライブして、家に送ったあとに、ガマンしていたタバコをやたらとふかしながらクルマの窓を開けて聞いた "Make me a memory."、これが流れると妙に狂暴にクルマのアクセルをふんずけたくなる" Let me flow." ホントのブラジル人が聞いたら恐らく怒るんだろうけど、サンバのリズムに見事にクロスオーバーした "Little Black Samba." これが流れると妙に卑屈なノリが出てくる "Take Five."

ニューヨーク、マンハッタン、摩天楼。

ニューヨークの空は絵葉書のように青かったのだろうか。それとも今日のように弱い光が窓から差し込む午後だったのだろうか。

そんなことはどうでもいいのかもしれない。ビンの底にまだ少し残るジンをタンブラーに注ぐと、ラジカセから "Just the two of us." が流れ、12月の終わりの日曜の午後は静かに過ぎて行った。

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