正しいリストラのされかた

 
ワタクシ、主任・島謙作の上司、S部長が先月退社した。

ワタクシが、まだ駆け出しだったころ、どこからとも現れ入社し営業部長に居座り、そのまま約十年程営業畑を歩いたヒトだった。

入社直後、年末の納会の時、女子社員に「おー、ねぇちゃん酒もってこい」と言ったとか言わなかったとかで、女子社員の評判は決して芳しくなかったと思う。

ひどい東北訛りのある人で、アメリカ在住の期間が長かったとのウワサだが、周囲のだれも彼の英会話を聞いた事がなかったようだ。聞いたことのあるヒトによれば、ヒドイ東北訛りの英語だったそうだ、なんじゃそれ!

付いたあだ名が「たぬき親父」風貌もさる事ながら、やる事も「たぬき」だった。

「まったく、あのたぬき親父にやられたよ」という声が彼の部下からずいぶん聞こえたものだ。必要なトキにちゃんと顔を出して、必要な事はちゃんと口にする、その後で「だから言ったでしょ」というのが彼の口癖だった。その後だ「たぬき親父にやられたよ」確かにそうなのだ、上司というのはそう言う存在なのかも知れない。

ミョーに顔が広くって、どこからそんな仕事見つけてきたの?という様な仕事を沢山持ってきた。これもたぬき親父の得意技のひとつなのかも知れない。すごくウマミのある仕事や、リスクがありそうな仕事もあった。たぬき親父にとってはそのうちの仕事のひとつが致命傷となってしまった。
一時取締役まで登ったS部長だったが、カイシャに大手資本が参加して、取締役をクビになって任された仕事が今のワシラの事業部長である。これも、はじめは数名で創めた年間数千万円の売り上げのホソボソとしたビジネスだったのだが、僅か4年で部下三十数余名、年間売り上げ十数億円の仕事にしてしまった。よい意味でエライと言えるし、はっきり言って将来性のあるラッキーな仕事にかかわってしまった、あるいはブカがとても優秀だったとも言えるが、恐い管理職だったことは間違えない。


滝を登る鯉は少ない

ワタクシ、主任になるまで約7年、更に数年そのままカイシャに居着いてしまった。当初、三日で辞めるか最初のボーナスもらったら辞めるかで悩んだものだったが、三日は余りにも短いし最初のボーナスはナシだったし、再就職に必要なコストを考えるウチにそのまま、雌猫の様に居着いてしまったというのがホンネである。それくらい当時のワタクシ、シマ・ケンサクのカイシャはビンボーだったわけで、カイシャというモノを簡単に辞める訳にはいかなかったのである。

そうは言っても一生カイシャに居るわけには行かない。そう、滝を登る鯉はごく僅かなのだ。出世を望んだって、いくらワタクシが生まれ育ちが良くたって、そうは行かない。世の中もっとずるい奴は居るわけだし、要領の良い奴、ラッキーな奴はタクサン居るわけだ。S部長とカイシャの上層部と、どのようなやり取りがあったかは知らないが、シモジモのワタクシは出世を望まない専門職として、オイコラテメエの技術専門職、悪く言うと職人サンとして生きる方が余程ピッタリだったのだ。


サンドストームオペレーション
 

一時期、サンドストームオペレーションプロジェクトというのをカイシャでやった事がある。おっと、「砂漠の嵐作戦」じゃないよ、何でもサンドイッチにして嵐の様に売りまくれという、いかにも結婚式でウケを狙いそうな総務部長が考え出したプロジェクトチームである。
メンバーはやたらと客先の受付けの女の子の電話番号をしつこく聞き出すのだが、全く成果のないなU次長を筆頭として、非常に優秀なプログラマではあるが、人とはちょっと変わった趣味を持っているY先輩だとか、営業企画書を書くのが大好きなのだが、企画書を誰にも見せたがらず、また電話するのが大っ嫌いな営業マンT君だとか3浪1留でカイシャに入って、日なが、窓の外を眺めながら簡単なロジックを見出せない新人プログラマM君なんかである。
そう、要するに社員をスカウトした人事担当者が自らの墓穴を埋めるため、いかにも売れそうもない、三角定規だとか、電話支持台なんかのOA商品を仕入れて契約を取ってこいという、究極のリストラ策である。
確かに三角定規は机の上に置いておいていいインテリアになるかも知れないが、事務所で三角定規を持っているやつは珍しかったし、きっと尊敬もされるだろう。電話支持台もベンリかもしれないが、当時は机のひとつひとつに電話がある企業というのも珍しかった位だが、確かにOA機器と呼べるかも知れない。

技術屋の生きる道

サラリーマンにとって、出世は結構、気になる話題でもあり、周囲を見渡すとあまり口に出来ない話題でもある、仮に同じ年に入社した奴と出世の話題になったとしよう。入社5年以内はまぁ解っていても入社10年ではトテツもなく気まずい話題である事に気が付くはずだ。大体、酒を飲む回数というのは友人より同僚の方が多いはずだ。仮に去年新入社員だった、ワタクシが今年の新入社員にグチ垂れたとしよう。十年後はわかんねぇぞ。

技術屋さんは良く言われるけど35歳で定年と言われる。このワタクシ主任、島謙作がその御年頃だ。大体、30過ぎると徹夜は体に良くないし、サボるテクニックというのはカンペキに身につけている。日暮れのドトールでコーヒー飲むよりも、午後のルノアールで昼寝した方が、よっぽどコストパフォーマンスに良いとか、肉よりも出来ればフィッシュ・アンド・チップスの方が食いたいと思う御年頃なのだ。

以前、茨城県北部に本社がある「技術のH」というカイシャを御訪問したとき、カチョウの横に、技術シュニンのカンバンがぶら下がっていた居室を思い出す。ワシラマネージメントだもんねというヒトと、ワシテクノクラートだもんねのヒトのだもんねコンビが仲良く席を並べてエラソーにニラミを利かすという座席構成になっていた。ま、これもいいとしよう。しかし、ホントに技術の先端をハシッテいる奴等というのは若い連中なのだ。S部長の後釜に座ったR部長なんかは「ワシラが若かった頃は4Kバイトのメモリに....」いやそれはま,いいや、でもワシラが三ヶ月で身につけたテクニックを奴等は僅か三日で身につけていく、それが技術のシンボだとか、ニンゲンの進化なのじゃと言えばそのままだ。別にそれを否定するわけには行かない(何しろ世の中競争が激しいからね)

とは言っても、ガキは日曜日のウンドウカイに出ろだとか、カカァはさっさと帰ってこいとかうるさい家庭を御持ちの皆様、一体どうなさっているのでしょう。まぁ、ワタクシ、主任、島謙作はラッキーな事に一人モンだから、休日にはさっさと午前中から、冷蔵庫に冷えていたアンラッキーな缶ビールを飲んだりしながら、いかにして、この乱雑な部屋を掃除しようかと深夜まで悩んでいるのだが....やっぱり月曜日というのは正しく7日おきにやってくるのである。
 

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