よく聞く言葉として「サラリーマン化」というのがある。まぁ、あんまり深く考えずに聞き流したコトバなのであるが、よーく考えてみるとミョーな怒りを感じてしまうのだ。語法としては「最近のセンセーもサラリーマン化して生徒に体当たりでキョーイクしないんだよな」だとか、「最近の坊主もサラリーマン化して、云々」まぁそんなところだろう。どうも、この「サラリーマン化」というコトバに対して、ワシラサラリーマンはなぜ怒りを感じないのだろう。大企業のエライさんだってサラリーマンなんだぞ。
大体この用例で示したように、「サラリーマン化」というコトバに対して、ワシラサラリーマンが「プロ意識の欠けた」とか「給料もらったらバイチャ!」的なアマちゃんな意味が含まれているような気がする。というよりは、まぁそんな意味なのだから仕方がないのだけれど。
じゃぁ、ワシラサラリーマンがアマちゃんか?
少なくともワシラサラリーマンは、給料ドロボーのプロフェッショナルなのであるぞ、と声を大にして言いたい。
いかにして駅前のドトールでサボるか、あるいはどのようにして電車を乗り換えれば、大量の居眠り時間を確保できるか?と言った問題に大しては非常にプロ意識のある連中なのだ。少なくとも10年間は東京の街でサラリーマンをやってみればよろしい。「駅すぱぁと」なんぞいうパソコンソフトがなくても、これらの情報は既に頭の中に充分インプットされているのである。サラリーマンはいちいち「ぴあ」開きながらサボる場所を選んでいるか?
キオスクで東スポのタイトル見ただけで130円払う価値があるかどうかを瞬時に見極めるその優れた判断力、これはオリンピックのマラソンのコーチだって教えてくれって言ってくるはずなのだ。
ユンケルがいいかリゲインにするかそれとも赤マムシドリンクか、今日の午後の疲労状態および業務の残量、もしくは下心と言ったものを的確にサイフと相談して薬局に飛び込む能力、これは慶応大学医学部のセンセーにだって適うわけがないのだ。
もう、うまくてコストパフォーマンスに長けた中華料理屋を選ぶその嗅覚たるや野生のライオンなみなのだぞ。(ちょっと誉め過ぎか)ガッコのセンセーにそんなことできるか?坊主にそんなことできるか?
そして上司へのゴマすりにかけた情熱。いやぁ感心します。出世するサラリーマンとはゴマすりの権化なのだ。夜の8時のゴマすりのプロ。仮に上司らしきヒトと出先に出かけている若きサラリーマンの後ろをあるいてみるがいい。ゴマのすりつぶしたのが転々とこぼれているから(そんなワケないか)
派閥の風がどっちに吹いているかを瞬間的に嗅ぎ分けるその能力といったら、まるでサバンナで走り回るシマウマなみなのだ。
もう、ワタクシ主任・島謙作のように上司からの夜のお誘いといったものと数年縁がなくなってみろ。花粉症でハナ詰まらせてみろ。たちまちリストラの対象なのだ。10年も主任やってみろ。飽きるぞぉ。ガッコのセンセーがリストラされるかぁ? 坊主はヒトが死ぬ限り仕事はあるんだぞ。墓堀人負みたいなもんだ。失業というコトバは知らないじゃないか。
あ、いや、ホントはそう言う意味ではなかったのだな。実際のトコロ、サラリーマンは給料をもらうことに関してはプロフェッショナルなのである。そもそもワシラがなぜちゃんと毎月サラリーをもらえるかという理由はちゃんとあるのだ。少なくともドトールでコーヒー飲んでサボることが仕事ではないのだ。
その代り見よ、サラリーマンの美しいサービス残業の山を!
サラリーマンよ。もっとプライドを持て。ワシラがいなけれりゃ世の中まわって行かんのだぞ。
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