主任・島謙作、グリーン車に乗る

  ゴールデンウィークを来週に控えた18:35平塚発東京行き東海道線グリーン車二階席は拍子抜けする程すいていた。こんな時間の上り電車だ。謙作は「うふぉふぉ」と歯の抜けた様なほぼ意味不明の笑い声を喉の奥で鳴らし、だぁーれも居ない二階席グリーン車の真ん中に「ダンゴ三兄弟」を鼻歌で歌いながら、どかっと座った。

  あとは発車のベルを待つヒトとなるためにホームで買い込んだカンコーヒーをプチリと空けてくつろげばよろしいのだ。普段はみるべくもないトラウザースの折り目も、さすがに夏物をおろしたばかりでまだしっかりしてたし、先週カットしたばかりのヘアスタイルはまともだった。七つ道具の入ったボロカバンには携帯電話と携帯パソコンが入っている。まるで準備していたかの様なグリーン車の乗客だった。

  だれも見送りにくるわけでもなし、車掌が検札にまわった後は、女の子と気兼ねなくゆっくりセックスできるくらい、静かだった。高校生だったころ毎週日曜日に通っていた市立図書館の静かな閲覧室を思い出した。「ふぉふぉ」とまた意味のない笑い声を小さくあげて、会社で支給された安物パソコンを開いて、本日の作業ホーコクを作り始めた。

  ゴールデンウィークを明日に控えたこの日、顧客の工場のラインが突然停止したと言う。別に何の責任も義務もないし、「誠に申し訳ないのですが...」と何度も念を押され謙作は初夏の近づく海辺の街に緊急出動した。顧客の問いに「ディスクが逝ってますね」と関口宏にコメントを求められたケント・ギルバートの様な優等生的なコメントを出した。

  こんな大きな生産ラインをただのコンピュータ1台で制御しているのだ。「まったく世の中どうかしてるぜ」なんて気の利かない三流サラリーマンならいかにも思い付きそうなセリフしか思い付かないまま、ディスクの交換作業を進めていた。まぁディスクの交換、システム全部の総取り替えと言うのは結構シンケーを使うもので、愛用のドライバとピンセットを駆使し、キーボードを幾つか叩くと、後は素敵な松脂のにおいのするコンピュータの蓋を閉めて作業を終えた。4月最後の夕焼けの中、最後の八重桜の散る中、顧客の工場を後にして、込みはじめた夕方の国道の渋滞列のバスの後部座席のヒトとなったのである。

  そう言えば謙作が小学生だったころ、暇があれば街の電気屋へ行ってはオーディオのカタログをかき集めてはいたものだった。もしかしたら、電子部品の持つあの松脂臭さが好きだったのかもしれない。大きくなったら何になりたいか、と聞かれれば実は街のデンキ屋だったのだ。街の商店街でどのお店が明るいかと言えば当然デンキ屋だった。なにしろデンキ屋の天井にはタクサンの蛍光燈がぶら下がっていたからなぁ。

  それがどう間違えてか、高校の数学で落ちこぼれ、大学では国語の教員メンキョを取ってしまい、さらに何をどう間違えたのかコンピュータギョーカイの末端々末エンジニアにおちぶれていた。キーボードなんか、高校生の頃、友達が持っていたオリベッティのタイプライターを触ったくらいで、全然それまで縁のなかったのに、今、謙作は会社の周囲3メートル以内ではキーボードの使い手と言われ、ボブ・ジェームスも真っ青なくらいスコスコと鍵盤を叩いている。

島謙作は鍵盤でジャズピアノは弾けないが、キーボードでブルースが書けるオトコとなったのだ。

  そう言えば「15年後のワタシ」という作文を卒業文集で書いたよな。などとバスの中で20年前を思い出していた。少年ケンサクの人生計画では15年後にデンキ屋を経営している筈だった。
あの新品の電気製品の松脂のにおいを嗅ぎにデンキ屋めぐりをした後、同級生のヒロコちゃんの虫垂炎のお見舞いにハッサクを買って市営病院まで出かけたのはあの頃だったっけ。あれが初恋だったのかも知れない。

  病院の窓の外の、わずかに春の気配が近づいた雪解けの街には「泳げタイヤキ君」が流れていたよな。そして20年後にヘイワなデンキ屋を夢見てた少年ケンサクは、20年後の今、コンピュータのディスクの交換に「ダンゴ三兄弟」を鼻歌交じりでシコシコとセイを出す三流エンジニア、主任・島謙作となっていた。

  普段、乗り物では滅多に眠り込まないとは言え、ウトウトしてしまったらしい。気が付いたら何時の間にか雨が振りはじめた夕方の街を、バスは渋滞列を抜け平塚の駅に近づいていた。ほぼ完璧な寝ボケ頭をコキザミに振って平塚の駅で電車に乗り換える頃には、物事の右と左のよくわからない状態だった。

  手っ取り早く空いている券売機を見つけ「そうか、品川まで930円かぁ」寝ぼけた頭で千円札を券売機に放りこみ、真っ先に目についた930円のボタンを押した。

  出てきた切符は「グリーン・普通車 \930 」と表示してあった。

  「アレィ!」とやや小さめの驚きとショックを隠そうとして隠せない状態だった。発車時間が近いことを示す改札の上の時計と、どう考えてもゴールデンウィークの予約客で一杯のミドリの窓口を見比べてた。やれやれ、今度は品川まで930円の乗車券を買うために、あきらめてポケットからもう一枚の千円札を引っ張り出した。

あとはどうやって経理の女の子と知恵比べするかだな、と重たいカバンをぶら下げて既に暗くなったホームを賭け降りて行った。


原文、95年改題
[戻る]