2005/03/19
電車を降りると反対側の線路の上を貨物列車が走っていた。今時珍しい貨物列車だ。乗り換える陸橋の上から見るとタンクローリーのような液体運搬専用の貨車がノロノロとミミズが這うように線路の上を走っている。急に速度を上げたのだろう。鋭い衝撃音が駅のホームにこだました。
最後に蒸気機関車で牽引する石炭列車を見たのは、少年・島謙作が12歳になったばかりの日だった。最後のスキーの日。用具を抱えて、バスの時間に間に合うように暗くなり始めた道を急いでいたら、目の前の警報機がいきなり鳴り出した。
その小さな町は周囲に炭鉱を抱える町だった。炭鉱がヒトの流れを作り、黒い石が生み出す経済価値が隣の町にも流れ込み、選炭した後の黒い排水も周囲の町に垂れ流していた。町中のどの川もどす黒い水を流し、小さな町に小便臭い映画館が三つもあった。
近所の高台には、高度成長を支える工場の社宅があり、冬のひどく冷え込む風のない朝には高台の上に石炭を焚く煙が漂っていた。青い空、黒い煙。町の全てがどす黒い色に染まっていた。高台から毎朝薄汚いナッパ服を着た工員達が工場の通用門をくぐって行った。
警報機の向こうから蒸気機関車特有のゆっくりとしたリズミカルな音がやってきた。もっと幼いころにはよく見かけた蒸気機関車だ。いくつもの石炭貨車を引いている。警報機のリズミカルな音に全然似合わないゆっくりしたリズムでレールの継ぎ目を越えていく。その音を40回まで数えて、それ以上数えるのを止めた。先を見ると石炭列車はまだ半分くらいしか通過していない。
父親がカラーテレビを買ったのはそのころだったのかも知れない。給料の一月分を費やして買ったカラーテレビだ。家にいた年寄りたちは高見山のマワシが真っ赤だったといって喜んで相撲中継に夢中になっていた。子供たちが裏のトムとジェリーの再放送を見たがっていたとしてもだ。
そのカラーテレビは最初ひどく調子が悪くてよく壊れた。電気屋のオヤジがドライバとハンダゴテを持ってきて修理に来たもんだ。少年・島謙作が電気屋にあこがれたのはあの電気屋のオヤジのせいかも知れない。何しろ、晴れた日でも薄暗い煤煙だらけのその町の商店街で、明るい店といえば、サンプルの蛍光灯をいくつもぶら下げた電気屋くらいしかなかったせいかも知れない。
蒸気機関車が通り過ぎた後、やっと開いた踏み切りの向こうのバス停から、バスが発車するのが見えた。最後のスキーの日、最後の春休み。解けかけた雪がどす黒い煤煙に染まり、凍り始めた春の道路が暗くなり始めた月のない空の下で灰色に光っていた。ヤッケが擦れあうリズミカルな音を孤独の友達にして、一時間に一本しかないバスを諦めて暗くなった道を歩いて帰ることにした。
その後、上級の学校に通ううちにどうやら算数に対してひどいコンプレックスを持つようになり、電気屋になることを諦め、歴史の教師にでもなろうと思っていたら、なぜかコンピュータの技術者になっていた。
「ねぇ、謙ちゃん、小学校の最後に書いた作文、『20年後のワタシ』に、どんなこと書いたの?」そう聞いてきたのは学校の同級生の級長だった女の子だ。同窓会をオーガナイズする彼女は小さな町で保健婦をやっているという。
「電気屋だ!...でんき屋、だった」
そう、答えたとき、なぜ自分が電気屋のようなことをやっているのが気がついた。電気屋。なぜか電気屋だ。オレの仕事は電気屋。株屋でも教師でも音楽家でも野球選手でもない。ただの電気屋だ。電気屋はキーボードでブラームスは弾けないが、キーボードからいくつかのコマンドとブルースを書ける。電気屋の商売なんてそんなもんだ。
ガタガタと響く長い貨物列車の尾灯を見送り、主任・島謙作は暗い乗り換え地下道へ降りていった。
春休み、あの最後の春休みから、一体何年過ぎたのだろう。