なぜにあなたはトイレに行くの?
そしてあなたはトイレに行くの?
大体、日本男児たるもの、公共の場所で用を足すという事は、ヒジョーに恥ずかしいことなのである。恐らく、世界中探したってこんな国民性を持ったのは日本男児のみではないのかぁ?全国の、駅便愛好諸君よ。駅便のために立ち上がれ!
ウンのつきはじめ
シマ・ケンサクが少年時代、決してガッコのトイレに入った事はなかったのだ。トイレは恐い所だ、という話を4年の担任のセンセーに「ガッコーの怪談」で聞いていたからでもあるし、あの汲み取り式はいかにも「恐」かったものなのだ。
友人タムがトイレに入ってたった10秒で出てきたとき、彼は「済んだ」のヒト言で手洗いに行ったのを見て、その早業に目をマイタものなのだが.....(一体いつズボンを下げたのだ)
ケンサクは中学の時の中間テストの時、決してセーロガンを手放さない男であった。
なぜなら、テストの最中、隣にクラスのマドンナ・クリちゃんが居たのにも関わらず、テストの最中トイレに行ったケーケンがあったからなのだ。
クリちゃんいわく「ケンちゃん今日は大丈夫?」
1980年代終わり頃
ワタクシ島謙作のカイシャはかつて、新宿にあった。そりゃ、カイシャに入った当初はなんでもなかったのだよ。
1990年代始め
トコロガ、業務の都合というものがあり、一時期、京王線を逆方向通勤するようになったのですな。これがカイテキ。
トコロガいざ、カイシャに呼び戻されると、これが同じ通勤快速と思われる程の痛勤状態!
こんなハズじゃなかった。毎朝が腹を押さえる地獄の毎日、ある日、カイシャのネットワークを管理していた、主任シマ・ケンサク(当時はただのヒラ)は京王沿線にお住まいの社内の皆様に向かって京王沿線駅便マップのメールを配信しはじめたのである。
このメールはやがて、社内の電子掲示板となり、多くの駅便愛好家の指示を得てたのである。
分倍河原在住の痔主のI部長、仙川在住のU氏(彼は朝から我慢した状態で帰宅時まで持つという特技を持つ)、多摩センター在住(当時)のA君、彼は同僚のS嬢に痛勤快速で声を掛けられただけで、明大前で下車して駅便に駆け込んだという奇特なヒトである。
1990年代半ば
そう、何たる事か、カイシャが港区に引っ越してしまったのだ!
ワタシはあなたに尽くすのに、なぜにあなたは遠くへ行くの?
かくして駅便仲間は、ワッセワッセ大挙して港区のサラリーマンになったのである。ここでも、すごいヒトが居た。「おお、おれ今日は遅れるから」と渋谷の駅便から携帯電話で連絡してきた永山在住のO先輩。多摩センターから「車内にあるから」という理由だけで東海道線藤沢に引っ越したA君。そうなのだJR中電は車内販売もあるのだよ。
こんなに皆様に皆様に愛された「京王沿線駅便マップ」が新たにネットワーク管理者になった、K君の掲示板の「メンテナンス」の一言でばっさり削除されてしまったのだ!
かくして駅便マップは蘇る
どうせやるなら、思いっきりマイナーにやろうじゃないか。全京王沿線に住むスーパーサラリーマン諸君に告ぐ!
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昨夜の深酒の影響はないか?
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今朝飲んだミルクの日付は大丈夫か?
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しっかり新宿南口のサラ金テイッシュはもらったか?
京王沿線駅便情報お待ちしています。
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