終電車人生模様


居酒屋タコでの「ラストオーダーですがぁ」で始まるコトバで、本日の業務、および一日の終わりの行事、そう、終電車に乗ってネグラに帰るという行為が開始されるのである。
いや、本日の業務というのは通常では PM 17:30 に終了するのであるが、そりゃまぁ、いろいろある訳だからついつい、こんな時間まで本日の業務が継続してしまうのである。
これが、金曜日であれば、まさに今週一週間お疲れ様でしたの無賃金労働なのだ。
まったくこの残業手当ても出ない業務に対して、なぜ、わしらサラリーマンは金を払ってまで遂行しようとするのであろうか。

さて、この居酒屋「タコ」の店員の一言で、全ての業務は後片付けの方向に向かって収束してゆくのだが、ここから、上司も部下もそろそろ気になり出すのが、「どの電車で帰るか(いや帰れるか)」である。
さて、 ここでサンゼンと輝くのが

23:22 高幡不動行き特急
23:28 京王八王子行き各駅停車
23:42 高幡不動行き各駅停車
23:48 高幡不動行き特急
00:06 高幡不動行き各駅停車
00:18 高幡不動行き特急
上のラインアップを我らが京王帝都は用意しているのである。他にもラインアップはあるのだが、とりあえず、京王沿線住民の80%は、このラインアップを頭に入れて、もう一軒業務を継続するべきか、それともとっとと上司の「ツキアイ攻撃」を躱すかのモンダイにぶち当たるのだ。
  

11:22 高幡不動行き特急

この電車は都心で 10:30 頃まで必死に残業していた方々が何とか午前様になるまいと酒気を帯びずに乗り込めば、例え長針が短針と重なり合った後であっても、とりあえず、「定時を過ぎてちょっと残業し過ぎてカイシャを出た」といった気分になれるのだ。
また、この後の特急にはあまりにドラマが多すぎて、素面で乗るにはこの電車しかない。
  

11:48 高幡不動行き特急

この電車、京王線のゴールデンラッシュ酔っ払い天国トラ電車である。
この電車に素面で乗るには結構勇気が必要であるし、ゴールデンウィーク直前の金曜日、ならびに12月の金曜日にはなるべく避けて乗りたい電車である。なにしろ、この電車、調布では橋本行き、高幡不動では各駅停車京王八王子行き、ならびに高尾山口行きにしっかり連絡している。したがって、沿線住民の帰巣本能を100%をカンペキにフォローするターミネータなのである。
この電車を逃すとタクシー乗り場でドラマが待っている沿線住民も多いのだ。

実はこの電車、調布から先の各駅停車に待ち合わせるのは 11:42 発の高幡不動行きである。なのにこの高幡不動行き各停は結構すいており、以外と八幡山あたりで座れたりなんかする。しかも乗っている方々はほぼ、世田谷区、杉並区の住民が多く、また、若い学生も多いのだが、比較的温和なフンイキと言ったモノを漂わせて新宿駅を出発したりなんかする。
住宅ローンに悩む狂暴な多摩地区住民の決死の姿を始発駅から見かける事はなく、非常に乗りやすい電車なのだ。
しかし、調布以西にすむ住民には京王帝都の策略にひっかかり、特急電車にすっかり飼い慣らされており、この電車を避けて次の 11:48 の特急に無意識にも乗り込もうとするのだ。

さて、22:30 の「ラストオーダーですがぁ」のその後の処置であるのだが、ここで「いや、お勘定」というコールが上司から聞こえたらしめたものだ。まだ正気を若干明日に残したまま、23:00 もしくは 23.22 というスペシャルゴールデンリラックスな特急電車が我が寝床に向かってスタタンスタタンと走ってくれるのである。
多くの者はニュース23の渡辺真理の引きつった笑顔を見ながら床に就く事が可能なのである。ただし「じゃぁもう一軒イコか?」というウルトラ大逆転ワザも残っている不安もあるのだが...

ここで、まだ手元に残る8割方残ったレモンサワーと結構食い散らかしたオデンやホッケなどを見渡し、「あ、じゃぁオシンコと、山芋の磯辺巻きね、おまえらもなんかたのめよ」なぁーんてアッサリ系のコトバが出てくるようでは、今夜は楽勝である。
あとはホッケのホネの周囲に残った僅かな身をすすりながら、上司の訓戒と言ったものを素直に聞き流してオシンコの到着を待てば、素直に 23:22 発の特急電車の酔っ払いとなって帰宅する事が可能なのだ。

もし、この段階で、上司や同僚がツクネだとか、フライドポテトのスティックだとか、刺し身関連大型案件の発注活動を開始したら要注意である。トドメにおチョウシ5本の追加発注が必ず待っている可能性が非常に高い。
これは「割り勘原則6対4」であっても、必ずやあなたのフトコロである内ポケット周辺だとか、明朝の下腹辺りに重大な影響力をもって翌日の後悔に続く伏線となって、モノガタリは続くのだ。
22:30 はバブルの真っ最中なのだが、 24:30 頃は全て崩壊し、翌朝 06:30 には全ての不良債権が正気に戻るのである。その際は素直に 23:48 もしくは 00:06 もしくはJR中央線三鷹駅のタクシー乗り場、もしくは新宿西口地下道を想像するしかない。

かくして、 23:48 の特急電車は本日の業務完了と翌日の不安を残しながら、混雑した車内と調布駅の下りホームで大量の小間物屋が開帳されてしまうのである。
  


00:06 最終高幡不動行き各駅停車

実はこれほど哀愁を帯びた電車はワタクシは知らないのである。ワタクシ、学生時代4年間新宿のコーヒー店でアルバイトをしており「ラストオーダーでぇーす」歴4年のツワモノだったのだ。この電車は新宿近辺の飲食業界の方々の痛勤電車である事は以外と知られていない。

ワタクシこの電車を4年間愛用していて、実はこの電車の後ろから3両目のおよそ3割の方々と毎日顔を合わせる事になったのである。

必ず新宿からは、「朝帰りの三輪明宏」風の疲れたホステスさんが乗ってきた。彼女は20年前から愛用している付けマツゲをしてキッと目をつむり、本日の業務の反省および貸し付けの残高の計算をシルバーシートにて行っていたのである。そして隣のテナントの天婦羅屋のおばちゃんも良く乗ってきた。彼女はいつも八幡山で「じゃぁお疲れさん」と声を掛けて下車したものだ。ワタシはバイト代が入るとたまに \980 の天婦羅定職を食いに行ったのである。
ワタシが勤めるコーヒー店で必ずアイスコーヒーを頼むラーメン屋の店長も居た。一度彼になぜいつもアイスコーヒーしか頼まないのかを終電車の中で聞いた事があった「どうせ、他のもの頼んでもアイスコーヒーしか出てこないんだもん」そりゃそうかも知れない。常連さんには無意味に「いつもの」やつしか出さないという不文律があったのだ。
また、武蔵野台に住むというチョビ髭の劇作家にも良くあった。彼は暗い終電車の中であってもサングラスを手放さず、ワタシが働くコーヒー屋で時折原稿なぞを書いていた。皮のコートなんぞをばしっと着込んでなぜ、笹塚辺りに住まずに府中のあんな墓地の近所に住むのかはついぞ聞いた事がなかった。

当然各駅停車であるから、途中千歳烏山なんぞからだってヒトは乗り込むのだ。烏山からはいつもの様に和服の「おばちゃん」が乗って来た。彼女はどう見ても還暦をはるかに越えているのだが、しっかりした水商売風で千歳烏山の駅から腰をしゃんと伸ばしてドアの外の闇を見つめていた。厚化粧を施し、今のコギャルだって驚く位にきれいに眉を描き、墨を流した夜の闇に流れる街灯をキリキリ見つめていた。
実はワタシはこの電車が大好きなのだ。だから、ただインスタントコーヒーを飲んだ様に酔っ払ってこの電車には乗りたくないのである。 
 


00:18 高幡不動行き

じつは、この電車は数年前にダイアに載ったのだが、ワタクシこの電車はほとんど乗った事がないのである。もはや、この時間は完全にグロッキーであり、乗り遅れる位なら、JR中央線を利用してタクシーで逃げを打つという手に訴えるしかないのだ。したがって乗り込むチャンスは少ないと言えよう。
この電車の大方の利用客は終電を逃した 00:06 組である。調布の駅でこの特急電車を降りると、後は最終の高幡不動行きを冷たい夜の闇の中で待つのみである。
上り方面の電車はなくなり、次々と上りホームの電灯は消灯されていく。そして暗くなる小間物屋だらけの下りホームでヒトビトはやがてやってくる土曜日の朝という物をズボンのポケットに手を突っ込みながら待ち受けるのである。


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