音姫様登場

××コ常務のはじまり
公共的な個室でクツロいでいると、隣に誰かが入る気配がするわけです。これがデパートだとか駅にある個室なんかだと、結構自分の本能の赴くがまま、ふう、なんてため息ついたり、下腹に溜まった不快感をいかにして排出しようかとキバったりなんかするんですね。

ところが、これが職場や学校、あるいは取引先など、壁の向こうに「知り合い」が多い建物の中にある個室だったりすると、隣人の気配に対して思わず自分自身の「気配」といったものを思いっきり消し去ろうと「息もできない状態」になることってありませんか?

今日の話はそんな話です。

不思議な話なんですけど、ああいった公共の場で手を洗っていると、ガタッという音と共に、同じ職場の同僚なんか、それが特にタイムカードを押した順番でしか部下のボーナスの査定を評価できないアホで大嫌いな無能な直属の課長なんかが、いかにも「今日は朝から嫁さんとケンカしてきてサァ、時間がなかったモンだから、スンゴいデッカイのをソコで済ませてきた」という顔で出てくると、どうもいけません。

「このバカ××コ野郎」
なんて思っちゃったりなんかするんですね。「バカ」は余計かもしれないけど。

かつて、職場のほぼトップ、「他の部署の担当役員」で、会社のナンバー2で、自分の職務とはあんまり関係ないせいか「個人的にはあんまり好きでもナンでもない常務」なんてぇのが「昨日の夜はちょっと飲みすぎたなぁ」といった顔で、ちょっと赤く頬を染めて上気しながら個室から出てきたときはずいぶん気まずい思いをしたものです。

まぁ、島謙作が勤める某都内中小企業である「アイランドセンター」という会社は、「役員用お手洗い」なんて気の利いたものなんかなくって、社長だろうが、新入社員であろうが、エレベータホール横の「個室の壁一枚向こうは隣り合わせ」という非常に平等な極めて民主的な職場であるということも言えるわけなんですけど、さすがに社長が個室から出てきたところを目撃したことはなくても、ナンバー2が個室から出てきたところをしっかり「目撃」してしまい、さらに、「目が合った」という非常に危険な状態を経験してしまった後の気まずさといったら、そりゃぁありません。

それ以来、島謙作は彼の会社のナンバー2の事を、反射的に心の中で好き嫌いに関わらず

「ウチのウ××常務」
と名づけてしまっています。

まぁその反動なんでしょうか。島謙作は主任以上の出世の望みも絶しっかり絶たれてしまっているのかも知れません。

まぁ、その点、今の直属の平取Y氏なんかは、しょっちゅうそのテの公共場所で姿を目撃しており、喫煙所なんかで平気でフランクに「市川のどこの病院の肛門科の医者の施術が優れている」だとか、その話題を聞きつけた隣の部署のS課長なんかは「手術の時はうつぶせになるか臀部を突き出すか二種類ある、大宮のS医院は後者であり、とにかく出血がすごい」なんて話題で盛り上がるほど、その手の話題には事欠かないので困ることはないし、更に上を行くT次長に至っては「あ、じゃぁ島クン、今度ボクが指突っ込んで調べてやろうか、でも血がでると怖いな」なんてメガネの奥をキラキラさせ指をヨダレで舐めつつ見つめられると、さすがに閉口するんですけどね。

同様に、たとえば客先なんかでちょっと用事があってミーティングの後に小用を足していると後ろから「ゴゴォゥウ」なんて音の後、ガタリと音がして、ヤバイと思ってなるべくそっちの方は見ないように気をつけているんだけど、向こうから「いやぁ、きのう飲みすぎちゃってねぇ」なんて気安く取引先担当者が声を掛けてくれれば「朝はねぇ。ホントつらいですよねぇ」なんてどこにでもある、おアイソのコトバでも返してあげれば、こちらもミーティングに送れた理由に対する救いようもあるのに、むっつりした顔で不機嫌に出てきて、ロクに手も洗わずに行かれると、それが特に気に入らない取引先担当だったりすると

「この×ン×野郎」
なんて心にもないことを思ったりなんかするわけです。
音姫様登場
なんで、こんなことを突然思いついたかというと、先日ラジオを聞いていたら、パフィという、関西便、じゃない弁だ、をしゃべる女の子二人組みのラジオプログラムの中で
「個室の隣に人の気配を感じて思わず自分の気配を消したことがある」
という問いの後
「うーん、あるある」
という話を聞いたためなのです。

その後の話の展開の中で女子トイレにあると言われる「音姫様」という文脈が現れ、「音姫様の擬音の音の中からいかにしてリアルに”チョロチョロ”という音の、更にその向こうにある「すんごい微妙な音」を聞き分けるか」という展開に「あらら」と思ってしまったのですね。

そうだったのか。日本の女子トイレには節水装置として「音姫様」というヤツがあったのですね。話には聞いたことがあるけど。

大和撫子にとってこの手の電子立国ニッポンの野郎なら、いかにも誰かが発想しそうな大和女子挺身隊秘密節水兵器の登場に驚いてしまった次第なのですね。結局、ニッポンの公共場所での排泄行為に関する奇妙な差別意識というのは意外と男女問わず根強いものなんだよなと思った次第なのであります。

まぁそれが”チョロチョロ”という擬音なのか”バ×××ッツ”なのか”ブ××××”なのかは全然その後の解説はないのだけれど、そのあたりの擬音の展開というヤツはなぁ。いかん、品がないなぁ。

それにしても「音姫様」のいかにも「作り物」の音の中から「本物の音」と言うものに聞き耳を立てて「自分の気配をヒタすら消し去ろう」とするニッポン女性の妙な「羞恥心」といったものに、日本人は男も女も大してかわんねぇなぁという妙な安心感も感じてしまったし、この奇妙な習癖が日本人共通なんだよなといった不思議さを改めて考えさせられたのであります。

「ごめんね、ちょっとお手洗い」
と言って五分間消えた女の子の下着が汚れていたのをその後見てしまった時の気持ちって複雑だよな。
男女の違い
何しろワシラ男にとっては、口にするものが同じでも出すものが違えば入るところは異なるという非常に微妙な問題があるのですよ。
「あ、ちょっとオレ、と、トイレね」

「あ、オレも」

なんて付き合って行った結構信頼していた相手がイソイソと個室に突進して行ったときのあのすんごい後悔。
「すまぬ、君の気持ちを察してあげなかったワシが悪い」
という反省があるわけですけど、相手が結構ヤバイ相手だったりなんかすると
「このウ××野郎」
となってしまうのですね。

大扉を開いて中にドドーンと入った後、コソコソ個室に入るか、ドドドとチューリップに立ち会うかは、非常に微妙なニッポン男児の決断であり、そのまま個室にコソコソと入ったりするとたとえあなたが「常務」であっても、職場の中の何人かは

「このウ××常務め」
なんて思われたりなんかするわけですね。

その微妙なオトコの決断に対して、日本の女性たちというのは、欲求にしたがって的確な目的もなく個室に入ってからの行為に対する”非情な聞き耳の闘い”というものに心を砕いていらっしゃったのですね。

「ちょっとおトイれ」
の後に
「ゴゴー」
という音姫様の電子的なサウンドの向こうに
「×××....グゥ...」
という音が聞こえるか否かという微妙な問題にこの世の中の日本女性がタタカッているという事実に愕然としたのであります。

この微妙な状況というものに対して「見られてしまった(あるいは聞かれてしまった)上司」だの同僚」がクダす「部下や同僚への評価」といったものと、「見てしまった(あるいは聞いてしまった)ヤツ」への「周囲からの判断」といったものに、奇妙なニッポンの、男女を問わぬ奇妙に厳しいニッポンの社会の一面をかんじてしまったりなんかするんですね。
 
 

吾が敬愛する遠藤周作大先生がおっしゃるには

「諸君、女の子に振られたときは”ブリジットバルドーもウ×コする”と鉄道唱歌のリズムに合わせて謡いたまえ」
とのたまったものなのである。
 
 
異文化空間
多分海外に出かけて感じる異文化、それは個室にあるのかもしれなのですね、。はじめてアメリカの地に渡って、散々詰め込まれたユナイテッド航空のアブラだらけの機内食をロスアンゼルス国際空港なんかの公共トイレにで排泄するために入った時、あの妙にひざ下が丸見えの空間に感じたドドーンと開放的な異文化。

それより、見たことのない、アメリカ海兵隊あたりの新人訓練キャンプだとか、中国の僻地にあるあまりにも「オープン」な環境に対して「怖さ」と「アコガレ」なんかをウヒウヒと期待してしまうのですね。

でもやっぱりワシラにっぽん男児にとっては”個室”が実は安心できるのです。

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