雨の日の朝

 午前7時30分の京王線

高層ビルの森に雨が降る。雫に濡れた鉄とコンクリートの太い無機質な幹は都会の狭い空に広がった灰色の重たい小枝を支え、流れ落ちた水滴はアスファルトの涸谷を小川にする。
昨日買ったばかりの夏のワンピースだって、丁寧にクシで撫で付けたネグセも、洗濯屋から下ろしてきたばかりのトラウザースだって、すべて台無しにするラッシュアワー。おまけにご丁寧にも外は仕上げの雨ときたもんだ。このあいだ夏場所が終わったと思ったら、フィリピン出身の夏の大気とモンゴル出身の寒気団がご丁寧にも東京上空で尻相撲を取っている。いいかげんにしてほしい。さっさと名古屋へ行けだ。ただでさえ機嫌の悪い午前7時半、おまけに、電車に乗る奴らはみんな先の尖ったカサを持っている。つつかれれば非常に痛いだろうし、おまけに雨でぐっしょりだ。

五月病からやっと立ち直ったと思えばこれだ。多分このブルーな気分を六月病と言うんだろうな。便利な世の中になったものだ。毎月のように新しい精神病が増えて行く。医者が繁盛するわけだ。

おまけに2日前いい天気だった。それも日曜だ。なのに仕事だ。朝から天気がいいのに一日屋内に閉じこもって仕事だ。明けて月曜クレームの危険な兆し、そして火曜は嵐の前触れ、今日は嵐。3箇所も出かける用事がある。全部クレーム処理ばかり。世の中そんなものだ。

どうやら、本日の腹の調子はご機嫌らしい。出勤時間を10分遅らせてでもトイレに行った甲斐がある。その代わり遅刻だけれど、もし、朝から救いがあるとすれば、それだけだ。

と、今日も出勤を遅れた言い訳を考えつつ一日朝からぴりぴりと張り詰めた雰囲気で朝の9時から午後5時30分までキツイ業務をこなさなければならない。別にカイシャに行ったからって楽しいことなんかなぁーんにもないのだ。
今日も仕事はクレーム処理ばかり。ちょうど込み合った雨の日の朝の電車の中で、重たい通勤かばんと塗れた傘を両手にかかえ、どうやってこれから40分間、居心地よく過ごすかと同じくらいすごく難しい毎日の問題だ。

通勤電車の社会人類学

朝の痛勤電車の中には少なくとも二種類の人間がいる。椅子に座っているやつと立っているやつだ。座っている奴はまぁ今回は問題にしない。どうせ朝6時に家を出て、始発駅からすわっているのだ。

立っている人間だっていくつか細かい分類ができる。つり革につかまって荷物を網棚に上げられるやつと、上げられない奴。少なくともカバンが棚に上がれば片手は空く、日経は無理でも3日前に古本屋で買った文庫本くらいは読むことができる。上げられない奴はさらに細かく分類できる。

何かにつかまることのできるやつとできない奴だ。

どう考えたって、途中のいいかげんな駅から痛勤快速に乗り込む奴は一番最後のカテゴリに分類される。つかまるものがなく、尻を押されて、右手にカバンをぶら下げて、ついでに雨が振れば左手はカサだ。それでもこいつは嫌らしい奴だとばかりに両手が荷物でふさがっている奴を痴漢呼ばわりするオンナだっている。何もいらだっているのは男ばかりではないのだ。

雨の日のマーフィーの法則

おまけに、うしろの女は新しいワンピースだ。オトコだってつい先週卸したばかりのサマーウールのジャケットだ。せっかく今日に限って腹の調子がいいというのに、既に肩のあたりに水の染みができている。去年買ったカサはすでに防水処理がなくなって、薄いトラウザースにぴたりと張り付いている。ご丁寧にも雫が一張羅の革靴の上に落ちてくる。すでに靴下はだいなしだ。

「雨にぬれたカサはおろしたてのズボンと仲がいい」

カタリと電車がゆれたついでに足を踏みなおす。ヒィエッ!と甲高い声。ウニュッと踏んだ先はご丁寧にもサンダルのつま先と来たもんだ。こっちは無けなしの金を払って買ったばかりのリーガルの硬いヒールである。睨むヤツ、睨まれるヤツ。どうやらもうひとつ法則が見つかったらしい。

「満員電車で硬い革靴のカカトは、サンダル履きの素足に恋をする」

無言の通勤電車

不思議なもので、朝の通勤電車では誰もが無言なのだ。

時折五月蝿い女子高生、どう見ても社宅からごいっしょに通勤してきている、朝から元気な新入社員。感情を身振りで必死に表そうとしている沿線に住む養護学校や聾学校の生徒。あと特別にうるさいといえば、まぁ車掌とホームの駅掛員くらいだろう。何しろ飛び道具を持っている。昨夜もう一曲詠いたかった悔しさをマイクにぶつけている。

一番困るのがカップルなのだ。ドアの脇で黙って二人で窓の外を見ていればまだ許せるものの、朝から目をミツメ合う高校生。馬鹿やってんじゃねぇよ。それからキメキメのグレーのスーツとそり落とした眉の女の若いカップル、これがまたどうしようもなく誰が見てもいい女だったりする。そういうのに限って、誰が見てもひどいオトコとひっついている。昨日ひと晩くっついて寝ていたのにまだベタベタしていたいらしい。

「こら、俺の女の腰に手を回すんじゃねぇ」

いかん。どうも何かが間違っている。まちがっているのは自分なのか他人なのか。よくわからない。

そして腹が立つ年齢不祥の男女。どういう関係かわからないけど、朝からなにやらボソボソと囁きあっている。横にいるコッチとしてはもうどうでもいいような気分にさせてくれる。

まぁ、こいつらは徒党を組んで乗り込んでくるからまだいいが、徒党を組まずに一人で乗り込んでくるうるさいヤツにも結構こわいものがある。こないだなんか、ぶつぶつと念仏唱えているおじさんがいたっけ。じっと窓の外に向かって念仏だ。良く見れば手にお経のカンニングペーパーかなんか持っている。こりゃちょっと珍しかったぞ。

「あぁあ、いかんいかん」

思わず口をついて出てしまった。あ、いかんいかん。これじゃ危ないおじさんだ。最近どうも下腹の周りも柔らかくなってしまったが、口先も柔らかくなってしまいどうもよくない。独り言を抑制できなくなってきた。今日もマネージャにどのような遅刻の言い訳をしようかと真剣に考えている。年をとってきた証拠だろうか。職場でぶつぶつ言いながら仕事をしている分には、まぁそんなヤツだと見られても仕方がないのだけれど、込み合った朝の電車の中でぶつぶつ言っているのは危ないぞ。

そのとき何をすればいいのか

ワタシらはそんな時何をすればよいのだろうか。窓の外は雨、ガラス窓は曇っている。何も見えない。どうせ見えたって昨日と同じ風景だ。どうやら紫陽花が咲いているらしい。車窓の向こうに紫色の雲が流れる。ひどく雨が降るときだけはよくあたる天気予報。体をひねれば昨日読んだばかりの週刊誌の中つり広告、見上げれば学習塾と学校と葬儀屋と集団霊園と結婚式場の広告、冠婚葬祭はすべて間に合っている。当分縁はない。目の前はハゲ頭。ピッ!はい1,980円でぇーす。両手には重い通勤カバンとぬれた傘。

急速にやる気と労働意欲がうせて行き、電車はもうすぐ終点だ。下りの入れ替えを待つ満員電車のサスペンションが腹を空かせた野良犬のような声でクゥクゥ鳴く。熱くそしてねっとりとした空気で膨らんだ風船みたいなのが車内に満ち溢れ、誰かが針でも突き立てれば一斉にパチンと破裂しそうな雰囲気。

おそらくサラリーマンの生涯なんてそんなものなんだろう。どうやって込み合った朝の電車の中で居心地よく過ごすか。どうやって居心地のよい8時間を勤務するか。最初から座れる始発駅から乗り込んだのか、それとも途中から乗り込んだのか。あるいは、途中下車して、次の各駅停車に乗り換えるのも手かもしれない。
ちょっとは遅れるかも知れないけれどもっと快適な人生だって別な電車にはあるのかも知れない。ひょっとしたら、自分が乗り替えて最初につかまったつり革の目の前に座ったヒトが、いきなり次の駅で途中下車するとか、うまくすると座れるかもしれないのだ。たとえそれが終点のイッコ手前の午後5時15分の駅だったとしてもだ。今のカイシャよりかはいいのかもしれない。それとも終点までやっぱり立ち通しの人生なのか。
そういったラッキーなチャンスを生かすサラリーマンライフもあれば、終着駅まで重たい荷物と塗れた傘にズボンを濡らしつつ過ごす、世間のうわさに満ち溢れた中吊り広告を見るだけの生涯もあるのだ。

窓の外は紫陽花の紫。冷房がアタマの上だけをかき回す。少なくともアタマだけは冷やせよ、ということらしい。

電車は都会の森へとはいり、濡れたアスファルトの大地に下に蚯蚓のようにズリズリとトンネルにもぐり込む。そろそろ終着駅にたどり着いた働きアリが甘くもない蜜を求めて都会の森の幹によじ登り出す時間なのだ。

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