定期を買う[戻る]

  満員の痛勤快速電車でヒト迷惑なバカデカ鞄を肩にぶら下げ、帝都東京の都心の中小企業に痛勤する主任・島謙作。
  コートのポケットの中でクロレッツだのテレフォンカードだのにもまれ、ジッポのオイルの染みがついたぼろぼろの擦り切れた文字も読めない定期券をコンビニのレシートと一緒に引っ張りだすと、自動改札口に突っ込み階段を登る。昨日の夜とたいして違わない暗い地下道から、やっと陽の暖かさが出始めた冬の早朝の新宿の空に昨夜の深酒の匂いの残った吐息を漂わせ、一日の半分以上をすごすサラリーマンの「オフィス」と呼ばれる戦場に向かう。
  昨日と同じ交差点でまだ痒みを感じる水虫気味の足をボロボロの革グツの中ですりあわせて、どうでもいい正月の二本立て大衆映画のその他おおぜいのエキストラの様に昨日と同じように「夕焼け小焼け」のメロディを聞きながら青信号待っていた。

  カイシャの方針なのか何なのかわからないのだが、「主任」の肩書きは基本的には「経営者側」に属するものである。世紀末の7月でもないのに、毎月月末に顧客から「ノストラダムスの大王の怒り」が落ちてきて深夜まで仕事をしようが、その結果休日出勤を申し告げられても(ほとんど自主的だが)「残業手当て」およびその他の手当てといった特殊な手当ては一切でない仕掛けになっているのである。
  「管理職研修」というのは30代の謙作のような無能な従業員に「昇格試験」を受験させてカイシャの七つの「裏わざ」じゃなかった「社訓」と言ったネタを仕込むことである。人事担当者は日曜日の午後の会議室で、そろそろ出世をあきらめかけた従業員に作文を書かせサッサと「主任」に無条件に昇格させることで、固定費を削減させることを目標としている。

 「てメぇ、俺の靴下の匂いそんなに嗅ぎてぇのかぁ」と、一足しか持っていない革靴を振り回してまだセーネンと呼ばれてもおかしくない謙作が恫喝して鍛えた新入社員Y君なんかが、8年後には シュアな能力を誤って仕事に発揮してしまい、順調に30過ぎでしっかり「課長代理」になり、部下もいなく、臭い靴下を履く先輩のいない新規プロジェクトの担当者なんかにされてしまうのである。
 とは言え奴は 「課長(代理)」である。奴の持ってきた業務と言ったモノに対して素直に「おお、そうか、そりゃ良かった、じゃちょっくらやってみるか、まぁそうか、ま、仕方ないわな、あ、出来るかどうかわかんないけど、ま、やっとくわ、じゃ、部長によろしくね、てへへ。あ、いやYさん、ハイッ」なんて訳のわかんない言い訳を30個くらいは平気でならべてしまうのが悲しいサラリーマンヒエラルキーの底辺に生息する人々の言い訳なのである。

  「士官候補生」というのはヤツのような人種を言うのであって、こっちはしっかりメスデッキの下に生息する陽の光の当たらない「下士官水兵」なのである。 間違っても部長から「じゃ一杯イコか?」なんて声はかからないし、年下の「新兵」と一緒にガード下のラーメン屋で割り勘でビール飲みながらラーメンをススルくらいなのだ。
  ほぼ、謙作のキンムする 「アイランドコンピュータセンター株式会社」はごく一般的なその手のコンピュータ関連企業で、謙作が各種アンケートの「業種」欄に書くのは「コンピュータ関連」肩書きは「係長・主任」である。このギョウカイの経営者にとって「主任」とは「残業代を出さなくてもいい現場職」の略称で、メンツを保つ主任手当ての代わりに「残業代」が節約できて、ひととおり技術的な事が出来て、無能な若い部下の尻ふきが得意で客先に出しても恥ずかしくなく、管理職としては完璧に能力がなく、3日遅刻すれば「欠勤カット」を言い渡すことの出来る、経営者にとって非常にコンビニエンスで従順なコストパフォーマンスの高い肩書きなのである。
  また、顧客にとっては役に立たない番犬であり、声をかければニコニコとしっぽを振ってやってくる奴のことで、下手な言い訳が得意で食えない奴なのだ。とはいっても犬であるから、下手をすると手を噛まれるわけで、頭を引っぱたいて文句を言うのはこいつではなく、しかるべき処置をもって発注先の「管理職」にたいして文句を言ってくる。

  なんたってキブンの悪い午前9:30。そんな不愉快な出来事が続いたからなのだか、昨夜の深酒がたたったのか、それとも出掛けに飲んだミルクが悪かったのか、それとも数年前から地主を目指したのに痔主になってしまったのか? とにかく腹の具合と機嫌の悪い冬の午前中の島謙作である。ボーっと本日のニュースなんぞをオンラインで読みながら、出張のたびに「六角亭のバターケーキ」なんぞを購入してしっかり手なずけているにもかかわらず、やはりいつも機嫌の悪い無愛想な業務担当者(女性独身3x才)はミドリの封筒を謙作に手渡す。その封筒はしっかりミシン目がほどこされ、「もうどこからでも開けてよね」という雰囲気といったものを漂わせていた。

  おおそうなのだ、これは「給料明細書」というヤツでこれを開ければ、今後一ヶ月という島謙作の生活が保証されるのだ。
  なぁんだ、今日は25日じゃないか、ホホ、そうなのだ、サラリーマン島謙作、およびほぼその同人種にとって幸せの毎月25日、先月セックスした女の子にとっては一応安心が確認できた日、じゃなかった、サラリーマンにとって幸せの日、そう給料日だったのである。
  早速、ミシン目をピリリと開け、その「明細」といったモノを吟味するのが、この十数年間×12ヶ月の悲しいパブロフのサラリーマン、じゃなかった主任・島謙作の悲しいサガなのである。

  毎月の給与明細というのは、島謙作にとってつまり「オマケ」の追加手当てが全くない、ま、「毎月見なくてもワカル」同じ内容なのであって、×12プラス「数ヶ月分賞与」で、四月の昇給した給与明細から島謙作の「本年の年収」および納税金額と言ったものが税務署員でなくとも無条件に電卓によってわかってしまうのである。 よく公園で飼い主に芸を仕込まれて「よしよし」なんて「ゴホービ」をいただける優雅な身分のゴールデンレトリバーではない。
  つまり、明細書によってワカルのは「今月は何が追加されたのか」ではなく「今月は何をヘマしてさっぴかれたのか」なのだ。 給料日とは、間違った所で間違った方法でウンコをしたために晩飯を抜かれた犬の気分にひたれる日なのである。
  ところが、今月の給与明細は年末調整でもないのに、いつもと違うフンイキと言ったものを漂わせ、開いた瞬間に真っ先に見る「振り込み総額」の内容が他の月とは明らかに違う内容が記載されていた。

  何のことはない「通勤費」の振り込み月なのである。
  しかし、デカイ内容である。何しろ通常の振り込み月の50%近くが上乗せされているのだ。しかも定期を忘れた日には、昼飯抜き、出先の近所のルノアールの昼寝ぬきの罰が待っている。常識的に言ってこの値段は、間違ってもこれを現金化して即、新宿歌舞伎町あたりの暴力バーなんかで散財してしまってはイケナイ内容なのである。 しかし、使い込むにはあまりにも魅力的な内容である。
  ということで、これを即座にその目的に変更するため、さっそく終了間際の京王新宿駅改札の隣で一枚の磁気カードを購入するのである。

  給料日以降、数日しか財布に存在しない福沢諭吉数枚に別れをつげて自動券売機に突っ込み、真新しいインクの匂いのする定期券を入手すると、「またあと六ヶ月はこのカイシャに勤務するのだな」という想いを新たにした。
  「定期の切れ目が職場との切れ目」と言い聞かせてここ何年間勤務してきたにも関わらず、また全くあっさりと定期券を更新してしまった自分に情けなさを感じ、半年ごとに来るこのセレモニーと、短い付き合いだった数枚の福沢諭吉との別れを惜しむように、サラリーマン、主任・島謙作はよれたコートのスソをひるがえし、京王新宿駅の昨日と同じ地下ホームの雑踏に映画のエキストラの様に消えてゆくのである。


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