さて、ワタクシ島謙作は電車の一両めの一番めのドアに立つ事がおおい。別に不思議でも何でもなく、それが乗り換えにベンリであるからなのだ。これは第一の理由で、第二の理由はゴルゴ13でなくとも一方が壁であるという事が安心である事。更に一両めの一番めのドアが重要なのであり、一両めの二番目のドアでは出来ない事、そう、運転手ごしに今現在すたたんすたたんと走る電車の前方を見ているという、実にてっちゃん好みの行為がこの場所では可能なのであり、これはいかに努力しても一両めの二番目から最後尾の後ろから二番目のドアではこれが不可能なのである。さて、この運転台の後ろという位置であるが、別にトレインシュミレータなるゲームがはびこるこの世の中であっても、純正てっちゃんでなくとも人気の高いスペースであり、乗り換え駅において、時折はげしい争奪戦といった風情のモノがヒタヒタと開始されるのである。ま、別にここで機関銃を取り出したり、矢でも鉄砲でももってこいといった流血の惨事という事が行われるのではないのだが、電車が入線し、下車したヒトビトが途切れたとたん、列のヒトビトはだーっと駆け込んでカベ際、つまり運転台の後ろの窓のトコロにコンパクトに身を寄せるのである。
さて、ワタクシはてっちゃんか? ま、それほどではない。そりゃ、幼少の頃、一度寝台列車に乗ってから「鉄道交済会発行ジコク表」偏愛者になり、北海道から鹿児島までイカにして寝台列車を乗り継ぐ旅をすれば良いのか、といった事に興味津々であった時期はあったにはあった。
しかし、イナカから出てきた頃、一緒に酒を飲んだ先輩が筋金入りのてっちゃんで、幾らヘベレケに酒を飲んでいても、必ず乗った電車の車両ナンバー(ほら、よくドアの右上にヘホハ2401なんて書いてあるでしょ)をノートにメモがきする、というハナシを聞いてすっかり幼少の頃の「てっちゃんへのアコガレ」といったものが粉砕されてしまったのである。それいらい、ワタクシは駅便評論家として、日の当たらない道をひた進んでいるのである。
さて、居並ぶてっちゃん準備群を後ろに控え、プロのてっちゃん(つまり運転手ね)について、ワタクシ島謙作が駅便評論家としていつも、彼らはトイレに行きたくなったらどうするのか?という実に素朴な疑問にアタマを悩ませているのである。
午前八時の一編成の電車に乗っている数千人のヒトビトの中で、彼は実は一番幸福な人物なのだ。何しろ、数千人の中で唯一正面に向かって座れるヒトであり、ワタクシの様に靴を踏まれたり、駅でヒトが乗り込むたびに「うげぇー」などと苦しみを唱えたりする必要のない人なのである。少なくとも車掌より「椅子に座って仕事をしている」という点ではエライわけであり、客に向かってエラソーな口を利かないだけ、駅員よりは格下なのだ(かも知れない)。なにしろ、この数千人で金のために働いているのは車掌とスリと運転手くらいなのである。しかも、右手にブレーキ、左手に速度制御装置のようなモノをつかんでいるだけで、ジャンボジェットの数十倍のヒトビトの安全と言うものを運んでいるのだ。まさに敷かれたレールの上を歩く商売というのはこう言うもんで、あとはガムをかんでいるか、呑気に鼻歌を歌っているか、昨日の麻雀の負けの原因と行ったものをひたすら考えているだけなの(かも)知れない。
まぁ、せいぜい働いているフリをするためにときおり「あ、シンコね」なんてつぶやきながら右の人差し指をぴくりと立てて信号確認をする程度である。
まぁ、これが「この道30年田中道久主任機関士」なんてぇのが乗り込んできた日には大変なのである。たちまち「シンコオーォウ」なんて肩から遠心力つけて指先振り回して大袈裟に信号確認なんかしちゃうのだ。こんな孤独でヒマで退屈(かも知れない)職場でいきなり昨夜良くかまずに飲み込んだ牛肉のカタマリがお腹の中から出口を求めて来たらどうするのだろう。(スゴイ下世話なハナシだ)いやぁ、ワタクシ考えただけで恐いです。自分はもうそんな機会はないのだが、自分の子孫には絶対に電車の運転手にだけはなってはイカンと通達するのだろうな。きっと。
じつはずいぶん昔なのだが、営団地下鉄の車掌が、車掌室のブラインドを全部下ろして、ドアから尻を突き出して行為に至ったというハナシを聞いた事がある。何の本だったか憶えてないのだが。そういった行為は車掌だから可能なのであって、運転手がそういった事をできるかどうかは難しいのではないだろうか?
ところで、気が付いたのだが彼ら運転手が機関区で交代の際に、ダイアグラムを書いたカードとNHKで昔時報を鳴らしていた様なリッパな時計と、何が入っているのかわからないデカカバンの他に、必ず自分の座布団と言うものを用意して待っているのである。実はあのオリジナル座布団にヒミツがかくされており。(いや、考えるのはもうよそう)
まぁいい。ワタクシの様に早朝電車に乗った途端にお腹に異変が発生する人物には向かない職業である事は間違えがないのである。