ま、大概は既にお仕事を終えた人々というのが並んでいたり、電車が入線(すごい古い言い方だなぁ)していたりする訳でどう考えても座れる訳はありません。
このままつり革にぶら下がって情けない顔していても仕方が無いから何か読むものはないかと30オトコは考える訳です。
そういう時は通勤ラッシュのパラダイスとも言うべきキオスクがサンゼンと輝く深夜のコンビニの様にホームの中央にしっかりした存在感と共に営業しているのですね。
で30オトコは今日はいつ、何曜日でどんな雑誌が発売日であるかをスバヤク検討するのです。
で、アエラにしようかニューズウィークでも買おうかと思い手を伸ばすとその手前にある訳です。青と赤の派手な見出しが。
「ぁそうか東スポがあったんだ」
こういう時は東スポを買うのが正解なのですね。なぜなら今週の週刊誌は明日でも買えるが今日の東スポは今日しか買えないからです。
これは非常に正しい賢い選択で、人生の経験を感じさせます。
で、まだ入線したばかりの特急電車のつり革の空き情報などを確認しながら上着の襟の社章バッチなんかをスバヤク取り外します。
アエラやニューズウィークなんかはバッチを付けて読んでも害はありませんが、東スポはイケナイという判断も順調にここまで出世してきた30オトコには必要なことは言うまでもありません。
で、電車の中のつり革のアキを見つけて、サラリーマン七つ道具の入った鞄をエイヤと網棚にのせて今後の数十分の安楽の場所というのを確保いたします。そこではじめて「フウ」などとため息を付く訳ですね。
しかし、東スポには読むルールがあります。コソコソ読んではイケナイのです。
バンと広げて読まなくては100円を投資した理由がありません。目の前にはイカにも今日一日ボスにシボられつづけた紺スーツメガネ24歳入社3年目が早くもイネムリの体制に入っています。
また紺スーツの隣の伊勢丹ブクロのオバサンをはさんだ右側には45歳これでやっとワタシも課長といったおじさんが、通勤鞄からさっき30オトコが買おうと思った雑誌を取り出しながら、テレビのワイドショーを見た妻との会話に合わせる為に女性セブンなんかの中つり広告を眺めてぼんやりしている訳ですね。
で、隣にはHanakoよりレディースコミックが似合いそうなOLなんかが一応小説も読むのよと言った感じでつり革に掴まって赤川次郎かなんかを取り出しています。
まぁよくあるまだ夜早い時間の新宿駅発車まえの風景といったところに、いきなり東スポをバンと広げた30オトコというのが出現して電車はガタリと一路幸福な家庭が待つ多摩奥地へと発車するのです。
ここで、まず30オトコ→バッチを外して変身→東スポ男は第一面をバサバサと広げて「本日のトピックス」といったものを確認します。隣のレディースコミックOLも一瞬そのタイトルに目が奪われるわけです。
「若花田婚約の破局の真相!」
これはイケルと判断した東スポ男は第一面本日のトピックスといったものをゆっくりお座りの皆様方に披露して、一番裏にある「日本美女紀行」なんかを読みはじめる訳ですね。
レディースコミックOLは取り出した三毛猫ホームズを取り敢えず広げるものの、第一面が見えないため、こちらが気になるのが東スポ男にはよくわかるわけですな。
目の前のオバサンは東スポ男のザワザワした出現にアレマと思い、いきなりそのタイトルに驚くのです。
その緊張感が隣の紺スーツにも伝わり、目の前のタイトルにハッとします。紺スーツのスルドイ目が今度は太陽光線の様に眼鏡がムシ眼鏡になって紙面をジリジリと焦がしているのがウラ面を読んでいる東スポ男にもよく伝わる訳ですね。
ホラホラせっかく座ったんだからネムイだろ、早く寝たいだろ、でももっとよみたいだろ、でも疲れているんだよな、わかるよ、おれも疲れているから座りたいんだよな、
東スポ男はわかったようにへへへと残酷にほくそえむのですな。
で45歳課長男は妻との夕食の会話のネタを東スポ男に見出した様な気がするのでしょうが、さすがそこは人生の先輩ですからタイトルを読んでニヤリとするだけだったのはさすがです。
やがて東スポ男は第一面をこちらに向けてゆっくり内容を読みだすのですね。「元婚約者Mさんの父語る」なんて小さく書かれたサブタイトルの付いた記事を読んでウーム、今日の100円の効果をウフフと楽しむ訳です。
隣のレディースコミックOLもその内容が気になるのが良くわかりますし、いつの間にか東スポ男の右後ろにゴルゴ13みたいににじり寄ってきた非番の殺し屋風の視線に危険なニオイを背中に感じるわけです。
で、東スポ男は紺スーツの熱い視線に黒く穴の空いた第一面の文字を追ううちに、周りの人生それぞれが、電車に乗ったときのヒマツブシの目標を思い出すのですね。
オバサンはジッと目をつむり、右後ろのゴルゴ13も夕刊フジを読みはじめ、東スポ男も東京湾のカサゴ情報だの、「スタンハンセンのウエスタンラリアット爆裂」だとか「わが占命によれば..」なんてエッチ記事などパラパラ読みつつあるうちに、東スポ男の浅はかな100円のお楽しみがばれて、紺スーツはいよいよ本格的に船を漕ぎだし、レディースコミックOLは文庫本に没頭し、いつもの混雑した帰宅時間の様に電車は一路スピードを上げて郊外に向けてスカタン、スカタンと多摩奥地に向けて軽快に走るのですね。
94年作
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