Voices in the rain

2003/06/12

昨夜からひどく降っていた雨は小降りになった。電車に乗り込み適当なつり革を見つけると、カバンの中から携帯のジュークボックスを取り出して、耳にはめる。今日は Joe Sample の Voices in the rain だ。今日は特別急ぐ理由もなく、客先で朝から仕事だ。おまけに雨も降っている。濡れた傘だって持っている。今日は混み合った通勤快速に乗る気にはぜんぜんなれない。だが、この各駅停車は途中の待ち合わせもほとんどなく、たとえ快速電車に乗り換えても到着時間は5分も変わらない。普通だったらジョーサンプルのスローなアコスティックピアノなんか、絶対に朝からなんか聞きたくないんだけれど、このタイトルが昨日から振り出した六月の粘つく雨と、ゆったりした各駅停車の時間の流れで引っかかったのだ。
各駅停車に乗る以上、当然「イス狙い」である。こんな時間でも各駅停車は意外と途中で降りる客も多く、朝のラッシュアワーも何とか座ることだってできてしまうのだ。本日のターゲットは、朝からロングシートの真ん中でスポニチを広げている柔道家みたいに体格のいいこいつだ。最初からクチを開けて眠り込んでいるような隣の紺スーツのアホズラは、終点のターミナル駅まで「イス狙い+熟睡」なので、こぉいう奴の前に立ってはいけないが、新聞を読んでいる奴なら、途中下車して乗り換えたりする可能性が非常に高い。スポニチオトコは7人がけのロングシートの真ん中にどっかりと座り込み、昨夜の中日阪神戦といったものの吟味をしていた。しかし妙だ。こいつ体格も良くって肩幅ひろい割に、随分と左右が空いている。あちらに3人、こっちに2人、よく見ると、このヤロウ、7人がけのロングシートに6人がけで真ん中にどっかり座り込んでいやがる。

ちくしょう、こいつなら絶対に途中下車するはずだ。

この街に住むようになって随分年月がたった。都心のターミナル駅から余裕で40分はかかる各駅停車しか止まらないどうでもいいような私鉄沿線の小さな街。最初に不動産屋の軽自動車に乗せられてこの街にたどり着いて、部屋を見て、そのあと地図を見て、歩いて5分で都界の川の土手に出ることができるということに気が付いた。
土手を越えると多摩川が見えた。川沿いの町。
夏の終わりの日差しを最後まで吸い尽くそうと、川は短くなりかけた西陽の下に輝いていた。川の流れの音がひどく懐かしく心地よかった。
ところが、このスポニチオトコ、次の乗り換え駅あたりじゃテコでも動かないように、どっかり座ったままだ、後ろのシートを見ると、乗り換え客があったのだろう、空いてるシートに、小柄なオヤジが座ろうとしているじゃないか。

仕方がなく、持ち歩いてもほとんど役にも立たない電子機器がごっちょり入った重たいカバンにため息をしまいこみ網棚の上に乗せた。仕方ない、さっきキオスクで買った今日の朝刊に集中することにしよう。

特急電車と名を変えた急行電車が一時間に一本停車する町に生まれて育った。駅から車で五分も走るとタンボばっかりがダラダラ広がる日本中どこにでもある大きな川のそばの小さな町である。周囲にロクに高い建物の無い自宅の二階の部屋から見渡すと周囲三方が堤防に囲まれていた。
いつも記憶のどこかに堤防があり、その向こうに、禁断の超えてはならない川があった。この堤防に囲まれた小さな集落に育った子供にとって、川は越えてはならない存在だった。
Greener Grass. 日経の企業欄を読むと、あとはほとんど読むところもない。大したニュースはない。ただ、昨日から季節が雨季になったというだけだ。各駅停車は小さな鉄橋を渡る。小川は昨夜以来の雨で少しだけ増水していた。窓の外に流れる濃くなった緑の景色にエレキピアノのメロディとアジサイの紫が混じる。昨日の朝は鯉が泳ぎ、水鳥が遊んでいた小川だが、今日は泥水が流れている。スポニチオトコはまだ昨日の阪神戦の吟味の最中だ。 窓の外では傘を差して歩く人と、傘なしで自転車に乗る高校生が見える。既にたいした雨ではないらしい。
町中の川という川は下水でしかなかった。上流の化学工場と鉱山の汚水を流し、決して澄んだ水を流したことがなかった。近くの小川は、化学工場と農場の農薬にまみれた赤い汚水を流し、川原の石は泥と汚水にまみれ常に赤い色をしていた。川は下水であり、常に硫黄と硫安のニオイのするところだった。大人たちは川で遊び、オタマジャクシをとる事を子供に禁じた。

唯一上流に鉱山がない近所の小川を砂利でせき止めて小さなダムを作って遊んだ日、この川の水だけはきれいだったが、あくる日から、台風崩れの低気圧が通過して大雨が降って、子供の作ったダムどころか、ブルドーザがこさえたまともな土手さえ流してしまった。幸い無事だった自分の家の二階から様子をみると、堤防に囲まれたその集落の一番低い土地にある家の屋根が水の上に浮かんでいるのが見えた。

途中で、大きな学校が近くにある駅がある。ここの駅も利用者が結構あるので降りる客は多いが、目の前のスポニチオトコはそう簡単に降りそうもない。ツンツン突っ立ったテカテカのポマードだらけの頭の中心から、ひどい匂いを周囲に撒き散らしている。まだスポニチには読むところがあるらしい、真ん中あたりにある風俗記事なんかを朝っぱらから熱心に研究している。

Eye of the Hurricane. 外はまた雨がひどくなり始めた。パーカッションの音が雨だれの音に聞こえる。多摩川の川原はどうなっているのだろう。まぁよほどのことがない限り、高台にある自分の住処が水につかるなんてことはないんだけど、大雨の後の週末の川原は醜いものだ。

快速電車の通過待ちの間に、ドア脇の肘掛の横の席が空いたのだが、当然そこにはその近所で立っている奴に権利がある。スポニチオトコの隣の細身のメガネスーツは朝刊をカバンにしまう。こいつは次の駅で降りそうだ、と思ったらその代わりに仕事の資料なのだろう、こんどは医薬品関連のパンフレットを書類しか入りそうもないスマートなカバンから取り出して無心に読み始める。こいつは一体どこで降りるんだ。

川の向こうに山並みが見えた。決してたどり着けない山並みだった。あの山の中には熊が出るので決して近寄ってはいけないと近所の大人たちは子供たちを脅した。
そして明治生まれの年寄りが時々そんな話をした。あの川を泳いで渡ろうとしてどれほどの男たちが命を失ったかを。それは赤い服を着た囚人であったかもしれないし、川に囲まれて人生に飽きあきした遠い南の国に憧れた男たちの話だったのかもしれない。
とにかく、川の向こうにある山並みには男たちをひきつける、奇妙な魅力があったことは間違えない。

Dreams of Dream. やがて電車は私鉄との乗り換え駅だ。たくさんの乗客が降り、また沢山の乗客が乗る。だが、スポニチオトコは芸能欄をひたすら読んでいる。どうやら、日経の朝刊なんかより、こいつのようなビジネスマンにとって大切なことが山のように書いてあるらしい。

やるもんだ、こっちは既に日経を二度も読み返している。もうこれ以上読むものもないし、足も疲れるし、既に Voices in the Rain は最後の Sonata In Solitude である。甘いピアノの音が粘つく外気のように耳に心地よい。

子供の頃、ありとあらゆるものが凍りつく冬の寒い深夜、数キロ先の線路を走る蒸気機関車の音と踏み切りの警報の音を聞きながら、ふと恐ろしい夢に目覚めたことがある。
夢の中に出てくる遠い山並みは、町を囲う堤防の向こうで夕暮れの霞の中に沈みこんでいた。いつかあの夢の中に出てくる山の向こうにある、遠い世界に自分は旅立つような気がした。夢の中でまっすぐな道は堤防を突っ切って、その山に突き当たり、ぐるぐるとトグロを巻いて山を越えていく。あの山の向こうにどんな世界があるのだろうか。

電車は最後の停車駅を出てトンネルにもぐり込もうとしている。さっき最後の駅で週刊誌の中吊り広告をぼんやり眺めていると、スポニチオトコの隣の医薬品パンフを読んでいたメガネスーツがやにわ立ち上がり、出口に突進した。あれ、と思って、バカデカカバンの乗っている網棚に手を伸ばそうとしているいるうちに、ドアから突進してきたピンクのニットおばちゃんがその席に滑り込む。7人がけのロングシートに真ん中のスポニチオトコは、今度は今夜のテレビ番組を物色中だ。

ロングシートの真ん中の奴と隣のピンクのニットおばちゃんの隙間が微妙にまぶしい。やれやれ、次が終点だ。

Voices in the Rain. アルバムは一通り耳の中で演奏された。また最初からプレイバックだ。スポニチオトコの後ろの窓の眺めは都会のグレーとその隙間にわずかに残る緑の景色から地下トンネルの黒一色に変わる。

今日は雨だというのにどうしてこんなに朝から優しい気持ちになれるのだろう。

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